高校時代
子供の頃の虐待や壮絶な体験は実際に脳を変形させると最近聞きました。
それが事実かそうでないかは別にして、不幸にも死別したり事情はともあれ離婚し片親で育った子供は、両親が揃った子供よりも大人の顔色を伺い見るような子供らしくない子供になります。
さて、中学まで引きこもりだった私ですが、なんとかランクは低いですが普通科の高校へ進学する事ができました。
高校時代は地元に就職組が多いため勉強と言うよりは、部活は写真部と新聞配達のアルバイトで3年間が終わった。
クラスメイトとはほとんど話しをせず過ぎ去ってしまった。( ̄◇ ̄)
そんな中でも恋愛ありました。高校2年から付き合ったT君 彼とは23歳まで付き合いました。その後衝撃的な事がわかるのですがその話しは後ほど…。
んま、高校時代は中学で引きこもってた分、部活やアルバイト・恋愛と充実していた時期もあったんですね( *´艸`)
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幼少の頃、身の周りの世界は絶対的に不変な事と思ってませんでした?
そう…、3・4歳頃の家庭環境、両親や兄弟、ペットや自宅、商売や自動車など無意識のうちに多少の型は変わっても絶対的な安心感があった。
私の場合は意外に早く7歳の時に父親が突然亡くなった為、母親が働いて暗くなるまで一人寂しく留守番をしていたことを覚えています。
昨今では、離婚率も上がり子供を一人で留守番させることが当たり前の世の中ですが、昔は携帯・スマホ、ゲームはありませんでしたからね…。
私は心が強くなかった、7歳で大人として母親の手伝いをして、母親の負担にならないよう生きることにしだいに疲れて心は歪んで行った。
思うと、今患っている鬱病の芽はこの頃からあったように思う。中学の時はほとんど不登校でギリギリ卒業しました。
同級生とは友達になれませんでした。当時は同級生が幼く話しが合いそうになかった。決して楽しい小学校・中学校時代じゃなかったかな。
北海道胆振東部地震
あの地震から一週間が経ちました。
函館は震源地より離れている事もあり、さほど停電以外は被害ありませんでした。しかし今回の震災で気づかされる事は沢山ありました。
独り身の私は自分一人くらい何とでもなるだろうと災害対策を何もしていなかった。
現実にはスマホの充電がなく、情報ひとつ掴めない状況でした。
ガスも水道も使えるのですが停電だけで不安になるものですね。
不安なのは私ばかりではないようで、スーパー、コンビニに行ってもスッカラカン❕物流も途絶え気味なのに買占めがあるようです。私がスーパーに行った時には肉魚はもちろん無く冷蔵品・冷凍品・缶詰・インスタントラーメン・カップ麺・お菓子もそこそこ無くなっていました。
教訓としては、最低でも一週間食べられる備蓄。乾電池や手回しラジオの用意。
後は余裕ができてきたら防災グッズなど…
自分が生きてる為というより他人に迷惑をかけないため必要な物
いのち
なんだかんだと暑い今年の夏も終盤ですね。
皆様いかがお過ごしですか?
ここ数ヶ月…、自らの命を絶つ話が身近に2件ほど続けてあって なんだかなぁ… なんです。
1人はまぁ見知った程度なので気持ちもさほど左右されなかったのですが、もう一件は以前勤めていた居酒屋の大将。まだ若いのですが俺様気質で歳上を敬うことができない人でした。
その気質からいつかは行き詰まるとは思っていたのですが意外早く、そして意外折れやすい物でした。
最初に大将が自殺らしいと聞いた時、何やってるんだよ。だから話聞いておけば良かったのに。アホ。
そんな感じコメントしかありませんね。
やっと「死」のイメージから抜け出せて、未だにズルズル鬱病治療するしかない私には人の不幸に関わる余裕がないのです。
札幌女子会
札幌からの帰り際にLINE交換をし、とりあえず女子会を発足するという目標は達成された訳ですがLINEでの話し合いも活発で7月には初回の独自で女子会を行う事になりました。
札幌が中心になっての話しなので私は毎回出席もする事もできず(´・ω・`)残念です。
しかし、ずっと考えていた北海道に女子会を作る事ができて良かったです。
けど帰って来てから何もする気になれない…LINEの会話にもあまり入りたくない…
やっぱり、自分の居場所は違ったのかなぁ
誕生日
今日は誕生日でした…ま、この歳になるとお祝いじゃないよね( *´艸`)クスクス
一応友達からのお祝いメールはたくさん頂きました。
でも、日常の生活と代わりなく酢キャベツの食事で、ケーキもありません(ノ_・。)
その酢キャベツも1ヶ月続けてみたのですが 苦痛の割には…
増えはしませんが、減りもしないですねー(_・ω・)_バァン
もう少し成果が欲しいところです。
めげずにまだ続けますけどね笑笑